株式会社和晃様(設備工事業 滋賀県)

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株式会社和晃様(設備工事業 滋賀県)

人事制度は会社を自立させるためのバイブルです

※掲載内容は2016年の取材に基づくものです。
  2021年現在
  取締役会長  永田竜太郎 様
  代表取締役  永田修 様


成長塾第72期を受講し、人事制度づくりを学ばれた
株式会社和晃 代表取締役 永田竜太郎様に伺いました。

●会社プロフィール
社名 株式会社和晃
所在地 〒529-1422  滋賀県東近江市五個荘小幡町55-6
資本金 2,000万円
設立 1973年
従業員数 正社員19名
事業内容 設備⼯事業
URL  https://siteoffice-wako.co.jp/

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1. 和晃 について

― まず、和晃様について教えてください。

三方よしで有名な近江商人発祥の地の1つとして知られる滋賀県の五個荘地区というところで事業をしています。業種としては設備業ですが、一般の設備工事ではなく、生産工場などで出てくる特殊な排水を処理する設備や、有害物質を除去する換気設備を引き受けています。

昭和48年に私の父が創業し、私で二代目です。現在で44期になります。元々は父が50歳くらいのときに地元でLPガスを供給している商事会社のガス工事や住宅設備工事の部門を分離して立ち上げたのが始まりです。

― 事業承継されたのはいつごろですか。

私自身は大手のゼネコンに勤めていて、当時はシンガポール支社にいました。このまま順調にいくんだろうなあと思っていたときに、日本にいる父親から2枚のFAXが届きました。そこには会社の状況などがびっしり書いてあったんですが、要約すると「会社を継いで借金をつぐか、会社を継がないで借金をつぐか」ということだったんです。

当時は3人目の子どもが生まれたばかりで、4人目の子どもが妻のおなかにいることもわかっていたのでかなり悩みました。でも、何もせずに諦めるよりもどこまでやれるのか自分を試したいという気持ちが最終的に強く働いて、引き継ぐことにしました。それがちょうど2000年、そのときおなかにいた子が4月から高校生になります。帰国して2年後に代表取締役に就任して交代し、今に至ります。

帰国してからは債務超過解消のために必死で仕事をしました。もともとは住宅設備や公共工事を多くやっていたんですが、シンガポールにいたときにいろいろな民間企業の工場の立ち上げのプロジェクトなどにずっと関わっていて自分の得手だったこともあり、工場の付帯設備工事を主業にしようと舵を切りました。それが結果的にいい方へ働き、順調に売上を伸ばしました。

2.社員数が10人を超えて人事制度が必要だと感じた

― 資料を見せていただくと、会社を引き継がれてからは順調に来られたように感じます。その中でどうして人事制度をつくりたいと思われたのでしょうか。

社員を絶対に辞めさせたくなかったので、そのためには儲けなければならないと、とにかく昼夜働きました。昼間は設備工事をして夜は会社の事務の仕事をしていましたね。社員の人には「とにかく外に出て工事を取ってきてくれ。稼いできてくれ」と言っているような感じで、個人事業主の集まりみたいでした。

5~6年そうしたことが続いているうちに儲けがそれなりにあって、社内で「和晃バブル」と呼んでいるんですが、ぽーんと大きい工事を続けていただいて、1年ごとに売上が1億円ずつ上がっていくことが続きました。

当然その中で債務超過も解消されたんですが、結局私の仕事が売上の半分以上を占める事態になっていて、会社として形になっていない状態でした。

でも売上が上がってくると人も欲しくなるので2004年頃から高校の新卒採用や中途採用を始めたんです。しかしなかなか育たないし「これはあかんな」と思い始めました。どう育ってほしいのか、漠然としたイメージはあるんだけれども、具体的には、先輩社員とペアにして働かせているくらいでした。

そんなときに社員が10人を超え、就業規則を届出する必要性が出てきて、社労士さんと「評価制度は大事ですよ」という話になったんです。それでいろいろサンプルや他の企業の事例を持ってきてくれるんですが、やっぱり馴染まないんです。それが社員をきちっと評価してそれを処遇に反映する仕組みが必要だなと気付いた発端でした。

3.「2日間でつくりましょう」という謳い文句に惹かれた

― そこからどこでENTOENTOを知られたのでしょうか。

仕組みづくりが大事だと思って自分なりにも勉強をして、ネットで調べていたら松本先生のHPがヒットし、平成19年4月にセミナーに参加しました。
「2日間で人事制度をつくりましょう」という謳い文句で、「何を言うてはんねん。2日でできるわけないやろ」と思いながらも、怖いもの見たさで参加しました(笑)。

そのセミナーの中で「給料やボーナスの決め方は、皆さんの頭の中にあるんです」「それを私がこれから説明する仕組みに落とし込んだら人事制度はすぐにできます」という言葉が腹に落ちました。どうせやるんだったらこういう考え方でやりたいと思いました。そのときは結局できなかったんですけどね(大笑)。

平成21年に東京で第72期成長塾を受講して、その年の7月には成長シートだけ運用スタートしました。翌年には京都の第85期成長塾を幹部社員と4人で受けて、そのあとに給料と賞与をリンクさせる処遇制度を運用開始しました。だから今7年目に突入したところです。

4.みんなにちゃんと給料を分けたいと思った

― 新人を育てる仕組みがなかったということ以外に、人事制度に取り組む以前から問題だと感じられていたことはありましたか。

賃金についてですね。当時、何人かの社員は月額固定制みたいな感じで給料を払っていました。創業者が決めたことだったので、なんでそういう風になっているのかが最初わかりませんでした。残業代を抑えるためだと思ったら、人によってでこぼこしている。そこは怖くて聞けないし触れないし、何年かは放置した状態で、「とにかく頑張って働いて行こう」という状態が続いていました。結局本人の売上や業績や能力と何ら結びついてないと感じたんですが、実際に不明確なんで分かりにくかったことがまず問題として大きかったです。

債務超過を解消した以降も売上などが割と順調に伸びて、やっぱりみんなにちゃんと給料を分けたいと思いました。「儲けは山分けや」といっても山分けのルールを何も決めていなかったので、非常に悩みました。儲けをどのくらい会社のために残しておくのかや昇給をどのくらい上げたらいいのかということが最初はわからなくて、日本のGDPに合わせて上げてみたりしていました。

― 人事制度をつくり始めてから感じた問題はありましたか。

やっぱり、頑張った人が頑張った分だけ昇給・賞与が変わっていくという考え方が必要だなとは思っていたんですが、そこがいい加減だったなと思います。

それから問題というか不安だったのが、みんながつくった成長シートに馴染んでくれるかということです。成長塾で言われる「一番優秀な人をモデル」にしてつくっていけばつくっていくほど、「これやったらいけるやろな」と思いましたが、「自分はもうちょっとこうなのにな」とちょっとレベルを上げてしまったりして、果たして社員に導入できるかなと感じましたね。でもとにかく成長シートから運用を始めました。

― 人事制度をどのように運用されていったのかを教えてください。

平成21年2月に成長塾に1人で参加して、(当時は1か月に1講座で6か月かけていたため)成長塾を修了した7月から成長シートの運用を開始しました。導入したのは技術職と事務職の一般職層と中堅職層です。フィードバックは同じ年の9月から行っています。その後平成22年2~7月に幹部と成長塾に参加し、7月から処遇制度も運用を開始しました。

5.創業者の想いを大切にしたかった

― 会社を引き継がれた際に、創業者であるお父様とはそういったお話しをされたのでしょうか。

毎日朝礼で唱和している「社員心得」
全くないです(笑)。引き継ぐという話は先ほどの2枚のFAXだけですね。会社のみんなは知ってますけど仲は悪いです(笑)。実は「何だったら辞めたるわ」といって出て行ったことも何回もありました。

でも、何もないところから立ち上げた創業者精神というものを非常に尊敬しているんです。ですから創業者のつくった毎日朝礼で唱和している「社員心得」を大切にしたいと思っていました。ですから人事制度をつくるときにはこれらをもとにしました。

― 社員心得を毎日唱和するのはいつごろからされていたのですか。

私が会社に帰ったころにはありました。父がつくって、毎日朝礼で念仏のように唱和する習慣になっていました。

6.成長シート運用成功の秘訣はフィードバック

― 導入されたのは先ほどお話のあった「ちょっとレベルを上げてみた成長シート」ですか。

はい。何度かやりとりして松本先生に添削してもらいましたが、成長塾では「すぐ始めなさい」「出来損ないでもいいからとりあえずやりなさい」「1日も早くスタートさせなさい」と繰り返し言われていたので、とりあえずということで成長シートの運用をスタートさせました。その中で特に力を入れたのがフィードバックです。

成長点数をつけたら終わり、じゃなくて、本人に「どういうところができていて、どういうところがあかんのや」という話を個別にきちんと説明しなかったら意味がありません。本人も意識づけしやすいですし、後々伸びてくるスピードも違います。始めた当時は「とにかくしっかり話をして成長点数を本人に伝えよう」ということでやっていました。

― 永田社長が全国大会(第5回<青森>)で発表された「フィードバックシートは部下へのラブレター」という名言は、成長塾でよくお話しさせていただきます。

自分では恥ずかしくて中々言えないんですけど(笑)。それくらいの気持ちでやっていこうと社内で常に話をしていました。

― 評価決定会議(現:成長支援会議)の議事録にフィードバックについて書かれていますが、フィードバックは上司の重要業務とされていたのですか。

成長要素とは別に話していました。最初の頃はフィードバックの仕方もみんなまちまちだし雑談で終わったり、個人的な話に突っ込んだりしていました。でもとにかくフィードバックの心構えはしっかり根付かせたくて、このように書いて伝えていました。

その頃はまず心を込めて手で書いてその人のためを思って作り込む。それを渡して説明する。これはもうほんまに告白と一緒やなみたいな。だから「ラブレター」という言葉が出てきたんですけど、だから「そういうことをとにかく理解してちゃんと見てよ」ととにかく伝えていました。

その他にも「教えるのではなく教えさせてもらう。自分のように染めるのではなく、個々の色に染めることを意識して臨んでください」ということも話していました。

まずは人対人。ちゃんと信頼関係をつくっていくという意味では、「フィードバックはとてもいい仕組みやな」と思ったので、特に手抜かずにやっていこう、一個一個の成長要素を丁寧に確認して書く行為そのものが大事にしようと思いました。

― 1枚のフィードバックシートをどのくらいかけてつくられましたか。

フィードバックの面談で1時間話すと思ったら1時間かけてつくっています。それから回数を重ねてくると同じことを何回も書いてしまったりして、紙ベースでつくることに限界を感じて最近はデータとして残せるようにしています。

― 最初、フィードバックを嫌がる上司の方はいらっしゃいませんでしたか。

それは幸いなことになかったですね。みんな恐る恐るながらも「一応やるで」と言ったら「分かりました」といって取り組んでくれました。「この先給料どうなるのかな」って不安はきっと抱えてたと思うんですが、導入した時期は業績が非常にぐっと上がっていたので、大きく減ることはないだろうという感じだったと思います。

― フィードバックするためには上司と部下の関係をつくる必要があったと思います。フラットな組織であった中で、どのように組織をつくられたのでしょうか。

成長シートを導入した際に組織上はリーダーを決めて部下をつけました。上司と部下の関係性ができたのはフィードバックをしていく中でのことです。

最初は「あの上司はいいけどあの上司は嫌」という意見が部下から出てくることもありました。ですから適当に区切りをつけて入れ替えたり、調整していた頃はありました。最近はあんまり大きな問題じゃなくなってきましたね。

― 設備工事をされていると、現場ごとにグループのメンバーが入れ替わることがあると思います。その際はフィードバックや評価はどうされるのでしょうか。

そうですね。きちっと縦割りにしてしまうと暇なグループや忙しいグループができてしまうので、その辺は柔軟に行ったり来たりしています。評価は基本的に現在の上司が行っています。

成長支援会議で集まって決めるので、見ていなかったところがあっても大丈夫です。3か月間まるまる別のリーダーのところに行っていて見れなかったとしたら、リーダー同士で情報をやり取りすべきでしょうし、外に出している方のリーダ-が役割上上司評価をするんですが、それがいいかどうかというのも会議の中ですりあわせできるので、そういう意味でも成長支援会議はいいですね。

― たくさんの部下を入れ替わりで見ていながらフィードバックをするために、メモをつけたりはしているのでしょうか。

そういうのは特にないです。知識・技術は特にそうなんですが、一回身に付いて4点だったものがいきなり次の3か月で1点になることはよっぽどじゃないとないと思います。そういった形で会議も何年もやっていくと、どうしても違うというところの指摘が出るくらいで、振れ幅はだんだん狭くなってきています。逆に良くできている部分や悪くなっている部分が目につきやすく分かりやすくなっています。

このフィードバックを通して、実は権限移譲もできたんです。それまでは私が全社員と個人面談をしていました。半期に1回、1人に1時間くらいかけていました。帰ってきたときは社内のことがわからないからということもあったんですが、それぞれのことがわかった気になれただけで、解決ということもできないし、そのうち解決できないことがストレスになってしまいました。

社長の個人面談というのは、自分の満足が得られるだけで、風通しが良くなるなんて間違いやったし、幻想で思い上がりだったんだと思いました。ですから今は私も直属の部下にしか面談、フィードバックをしません。

― 成長支援会議にはどのくらい掛けられていますか。

14名分が1時間くらいで終わります。最初は2時間くらいでした。また、最近はシートそのものに関する不具合の話が成長支援会議で出るようになってきました。みんな5点を取れる項目が出てきているので、それはもう入れ替えないといけない時期になってるのかな?と思います。

「これはこの言葉だけで捉えるとちょっと可哀想やで」という不具合も出てきたので、成長シートもマイナーチェンジをする時期に来たと思います。

7.最も高い成果を上げた社員の数字をハイライト

― 成長シートについてお聞きします。成長シートはこれまでにどれくらい変更されてきましたか。

最初の1年仮のシートを運用してから一回大きく変えた部分があります。2年目3年目以降はほとんど変えていないです。

それから一般職で一番上げられた実績をみんなに分かりやすいように「最高新記録や」みたいな感じで期待成果の5点に持ってくることを、3~4年前ぐらいからやり始めていますね。「これぐらいやれる人間が社内におるんや」と、そういうのをここにずっと書き留めています。うちの会社の最高新記録をハイライトしてあげることで、「こんな時期があったん」とか「この先輩こんなにすごいな」とかもわかりますし、こっちもそういう記録を確認できるので、これはずっと載せていこうと思っています。

― 一般職層と中堅職層は成長要素自体は同じで、成長基準とウェートが違うというつくり方をされていますね。

そうですね。期待成果は特に一般職層よりも中堅職層でウェートを高くしています。

― 「グループ員の成長点数(部下の伸びた成長点数)」だけで2.5も占めていますね。

成長塾で「絶対入れるように」と言われましたからね(笑)。

― 「教えられて伸びるんじゃなくて背中を見て自分で苦労させて育てるべきだ」というような声はありませんでしたか。

それをしていたら今につながっていないですね。たとえば誰が失敗したり苦労したりしたことをみんなが知り得るだけで、同じ失敗や苦労をしないで済みます。知らんがために同じ間違いをするっていうことは世の中にいっぱいあるじゃないですか。教えるということは、先輩や上司が失敗や苦労してきたことを疑似体験させることだと思います。そのほうが成長のスピードが結果的に上がりますよね。

成長塾でも言われますが、「教える人間が一番優秀だ」ということはまず導入の時に説明しました。「背中を見て育て」ということは成長シートの中に出てきませんから、教えることがしっかり根付きました。

8.モデルとなった優秀な社員には創業者の想いが伝わっていた

― 成長シートをつくるときに一番悩まれたところはどこでしょうか。

先ほどもお話ししたように、成長塾でも言われましたが「創業者が考えてきたこと」を大事にしたかった。会社を引き継ぐにあたって、成長シートは創業者の経営理念や社訓が身につくような構成にしたいという思いがずっとあったんです。毎日成長シートで仕事をしていたらいつのまにかうちのカラーや理念が伝わっている、という感じにしたかったのでそこにはすごくこだわりました。

「和晃十則」を分けると健康・前進・努力・人だなと考えて、たとえば健康であれば人が安全であるということですから、工事をしている我々にとっては「安全第一やな」ということから期待成果を「工事の無事故率」にしたりしました。

「前進」なら「儲けていこう」みたいなことだからと「人時生産性」という期待成果を導き出したり、創業者の想いと成長シートを合致させていくという作業をすごくこだわっておこないました。

事業を引き継ぐってやっぱり創業した人の想いを引き継ぐのが一番実は大事なんやなと思いました。いくら借金を返したとしても「パッと見たらやってること一緒やな」ってなったら意味がないわけで、その辺にとっても気づかされたというのがここですね。

成長シートは社内で一番できる人を分析して良いところを可視化してまとめていきましょうというのが、成長塾で教わるいの一番の部分じゃないですか。それをやっていく過程で、仕事のスタイルとか重要業務とか「親父がよう言っとった話があるなあ」「こういうことを大事にしてたんだよなあ」と見えてきました。

優秀な社員を分析することを通じて、父親がやろうとしてきたこと、どう社員を育てて会社としてどういう風に行きたいと考えていたのかが見えてきました。父がよく「騙すより、騙されろ。絶対に騙す側の立場になるな。正直にあれ」みたいなことを言ってたんです。それがモデルとなった優秀な社員から見えてきたりすると、「伝わってるな」ということが嬉しかったです。

それからかなり先生に相談してつくった項目が「クレーム改善数」です。これによってトラブルクレームに対する意識ができてきました。トラブルになったことを責めるんじゃなくて、みんなの前で発表して共有化したら同じ間違いをしなくて済むから、それを評価しようということにしています。週に1回15分の勉強会をやっているんですが、社内的にいろんなトラブルが出てくるんです。そういうのを掲示してみんなでどうすればこういうことを起こさずに済むかということを考えてコメントを入れています。

トラブルはつきものだという言い方をしたらだめですが、「起こったことに対して『じゃあどうすればいいか』ということをみんなに知らしめることのほうが大事やで」といってこういうことをやりだしてから、みんなの意識が変わってきたと思います。ミスは誰でもするし、毎回工事の内容が違う以上、クレームがないように取り組みはしますが出てしまうことがある。でもそれを「隠そう」みたいな雰囲気はなくなってきました。

― 成長シートに「売上高」という項目がないのがすごく特徴的だと思います。

成長塾で「売上は単価×件数ですよ」とよく言われました。我々は受注産業なので、見積を出すことで最終的な受注率が上がるし、良い見積もりであれば利益も当然出ます。ですから見積もりの提出がとっても大事だという認識はそれまでにもあったんです。どんだけ小っちゃくてもいいんですが、最初の取り組みとしては見積もりをたくさん出した社員が一番受注できるからということでそのようにしました。

もちろん、結局見積もりを出すというのは単に「FAXを送っておしまい」じゃなくて、「どうですか?高いですか?安いですか?」「こんなん安いわ」とか「こんなん高くてできへんわ」とかやり取りがあるわけです。そのプロセス、お客さんとそういった一対一の交渉がしょっちゅうですね。年間を通じてその人を見てあげたら、そのプロセスも含めて最終的には、「見積もりをこれだけ出したら受注はこれぐらいになる」と見込み件数みたいな数字が出てくるわけですね。そしたらあんまり売上とかざくっとした感じよりも本人がわかりやすいのが見積もり件数でした。

うちは商品を売ってなんぼじゃないですし、1個1個の案件が全部違うし、利益幅も変わってきます。ある時はマイナスになってたりするので売上とか利益ばっかり着目して評価してしまうと、人によっては可哀想という差が出てくる。そこよりもプロセスの方が大事ということでこういう成長シートになりました。

9.会社として仕事をしていこうという風潮ができた

― この成長シートを導入して、次に処遇制度を運用されたということなのですが、解決できた問題は何でしょうか。

うちの会社がどういう集団でありたいか、どういう社員になってほしいのかということを説明できるようになりました。せっかく新卒を入れても右往左往していた時期もありましたが、今では「標準で10年間かかりますよ」とステップアップの方向性をちゃんと示せます。

それから、今までは個人事業主の集まりで担当の範囲外のことは協力的ではなかったことが、グループとしてだけでなく会社として仕事をやっていこうという風潮が出来上がってきたことが解決できたことだと思っています。

あとは、組織をつくると舵を切ったことで、自分がいつまでもプレーヤーのトップで会社の売上の半分を持っているようやったらあかんということで、現場に出ることをぐっと我慢したこともありました。2~3年前からは「新卒採用3種の神器」を持って採用活動をしていて、今はそこに一番時間を費やしているかもしれないですね。

― 現場に出ることを我慢されたということですが、売上が下がる不安はありませんでしたか。

それはもちろんありました。だから「徐々に自分の担当を減らそう」という意識でお客さんを部下に任せていきました。まだひとつかふたつは直接電話がかかってくるような得意先もありますが、年間で数えてもひと月分くらいだと思います。

実はリーマンショックのときには、私が会社に帰ってきたときと同じくらいまで売上が落ち込みました。社員数は増えているのに、です。赤字も3,000万円くらい出して本来ならむちゃくちゃ悩むべきところだったんでしょうけど、「今はもう勉強しよう」といって落ち着いて教育に注力しました。「いつまでもどん底のはずはないんやから」と不思議と変な安心感がありましたね。

その通りにその後順調に売上が上がってきたんですが、去年思い立って売上と社員の成長点数の合計を対比させてみました。そうしたらぴったりと一致していて驚きました。人事制度を導入したパフォーマンスを見える化できたということです。社員の成長点数の合計が会社の売上や利益に結びついているのがはっきりとわかりました。

― 会計学の中で40年くらい研究されてきた「人的会計」がありますが、初めて出されたデータだと思います。

僕自身のパフォーマンスを計ることができるようになったことはとても大きいです。成長シートに取り組んで、みんなが成長して点数を上げていってさえくれたら、利益にも生産性にも結びついていくんだということが証明されたということですからね。それが定量的成果の一番大きい数字ですね。

最近、「社員を成長させ始めたら規模拡大しかないんですよ」と言われた意味がやっと分かるようになってきました。若い子を入れたら受け入れられる下地もできたし、人を入れたら後は育つだけやという感じです。ただ悲しいかな、マーケットの限界があるので、これから考えなければいけません。

10.リーマンショックのときに制度が会社を守った

それから、毎月経理の社員から人件費総額について発表してもらっているんですが、毎月毎月労働分配率だとか人時生産性ということを聞かせていくと、意識するようになってきました。結局は会社の経費も昇給や賞与の原資も利益の中から生まれるというお金の流れをみんなが分かってくる。だから本来だったら社長の自分だけが胃を痛くして「どうしよう」と悩む話を、堂々と「今月はマイナスです」とみんなの前で言えます。コスト意識を高める意味でも良かったなと思っています。

― 役員報酬なども入れて発表されているのでしょうか。

はい。役員の報酬などもすべて入っています。

― これを発表されるのは怖くありませんでしたか。

初めは怖かったですよ。でももう慣れました。もういいや、って(笑)。

今は今期の労働分配率の目標を出しているんですが、売上高も各リーダーが「来期の見込みはこのくらいです」と言ってきたのを単に合算しているだけなので、僕が決めているわけでもなんでもありません。

― 賞与原資は労働分配率で計算されていらっしゃるのですか。

はい。成長塾で習った通りに目標の労働分配率から実績の労働分配率を引いた残りを付加価値に掛けて、毎月積み上げていっています。

会社の最終利益も残っていますし、社内留保にもつながっています。毎年業績の予測をしながら目標の労働分配率をちょっとずつ下げていっています。

実はリーマンショックで売上ががくっと落ちて、「昇給もなし、ボーナスもなし」というのが2年ぐらい続いたんですよ。成長シートに続いて処遇制度についても発表した後でした。本来やったら「どうやって説明しようかな……」って悩むところなんですけど、予め期首に「業績がこうなって総合評価がこうなったらこうなります」という昇給予定表や賞与原資を見せて、「原資がなかったら昇給もない。賞与もない」と説明していたんです。社員からしたら本当はどうだったか分からないですけど、約束したことを我慢してでもやるみたいな感じでなってくれて、こっちも言い訳することもなく、人間関係が壊れることもありませんでした。制度が我々の会社を守ってくれたところがあります。

ここ1年ボーナスも昇給もできているので、本当に会社の利益が上がっていったら分配されるというのもわかって、配分についてもみんなから苦情が一切出てきていません。昇給・賞与に対する社員の納得感っていうのは実は一番心配はしてたところでもあるんですけど、それに対しては何も出てこなかったので良かったです。「成長シートに書いてあることだけ取り組んでいれば、昇給・賞与はまた自動的に決まるんだ」というのを実感してくれているから、不満などが出ないんだろうなと思っています。

11.「自分がやる」と決めたらもうやるだけ

― 人事制度の構築や導入、運用にあたって最も悩まれたことは何でしょうか。

先ほどもお話しした成長シートのつくりこみです。債務超過を返すまでは、念仏(和晃十則)を唱えたって飯は食えんぞという気持ちが実はありました。同じようにこの人事制度もただ唱える念仏のように形骸化してしまわないようにと成長シートは考えましたが、「こんなんできません」と社員に言われたらとそこが一番怖かったし、悩みましたね。

それから人事制度に創業者の思いが残ってるかどうかも悩んだ部分なんですが、そこはお話ししてきたように「何となくいけてるやろ」と思って解決できたと思っています。あとは「自分がやると決めたらもうやるんや」というだけですね。続けるとなったら絶対続ける。覚悟を決めてやると。

― 会社の売上の半分を持ってらっしゃったということで大変お忙しかったと思います。成長シートをつくったりフィードバックシートつくったり、時間がないと悩まれませんでしたか。

売上を半分やってた頃は「このままやったら早死にすんな」とか思いながら仕事をしてましたね。TTM研修を受けて時間の使い方をもうちょっと大事せなあかんなと思いましたし、振れる仕事は部下にほとんど振っていきました。それでも成長シートやフィードバックシートは夜中まで掛かってやったりしました。社員のための制度づくり、組織づくりだと信じてそこに疑問の余地があったら、多分できなかったですね。でも結局社員のためだと考えた自分のためだと納得していたし、その覚悟を決めていたから悩むことではなかったです。

12. 会社を自立させるバイブル

― 和晃様にとって人事制度とは何でしょうか。

会社を自立させる、成長させるバイブルです。さっき念仏ということを言いましたけど、誰もそんなの置いてあっても読み解かないですよね。

でも横に置いておきたい。普段意識することはないんですけど、信仰みたいなそういうものが国を守ってくれたりしますよね。うちにとっては人事制度がそういうものだと思います。

今更それを読み解いてどうのこうのという必要はなくなって来てるんですけど、趣旨を理解して運用していけば、会社は伸びていくというのが分かる。特に新入社員なんかは今まで苦労してきたことを知らず、どんどん伸びていくでしょうから制度そのものが空気みたいになっていくと思います。うちの会社にとってはこれだけ運用してきて初めて分かるんですけど、そういうものだと思っています。

成長シートもまた社員の成長に合わせて見直す作業は出てくるんですが、それはもう少ししたら権限移譲していこうかなと思っています。

13. 創業者の想いと向き合ってほしい

― 最後に、構築と運用で悩まれている成長塾メンバーにアドバイスをいただきたいと思います。

人事制度をつくる際には創業者の想いと向き合って創業者の想いを受け止めてほしいと思います。自身の実体験として、それができたことがとても良かったと思っているので。

それから、運用を継続できないというお話をチラチラ聞いたりするんですが、じっくり継続することが大事だと思うんです。こうやってお話しさせていただいていますが、僕も途中ずぼらになったり、フィードバックが大事だって言いながらも伸び伸びになったりしたこともあるんです。でもそこにこだわるんじゃなくて、「それでも続けていく」ということがやっぱり一番大事かなと思います。そういうことで継続されるとこんなに成果が上がるんですよとお伝えしたいです。

― 去年とても嬉しいことがあったということをお聞きしました。

去年、中堅職に昇格した平成16年高卒入社社員の昇格面接を居酒屋でやったのですが、その社員から言われたことがあるんです。

「社長、うちの会社は夢がありますわ~」

嬉しくて泣けましたね。ステップアップ基準どおりに上がってくれて、必要な資格も取得してくれた社員なんです。その社員にそう言ってもらえて、経営者としてやってきたことに最高の評価をもらったと思っています。同じ気分を皆さんにもぜひ味わってほしいです。

「和晃十則(社員心得)」の前で永田社長と弊社の代表と記念撮影

株式会社和晃様、お忙しい中、貴重なお話をありがとうございました。


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